コーラとマシュマロ

コーラとマシュマロが豊かにお喋りする日記

かみさまの数式

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なんとなく頭に浮かんだことを、忘れないうちにここにぽんぽん置いておく。

 

今日親友とLINEしながら、自分でも初めて考えるようなことを、まるで何年も繰り返し自問自答してきたことへの答えのように、ぽんぽん話していたことに驚いた。

なんだか新鮮だったので、忘れないうちにメモ。

 

目の前の不条理さや他人の無神経さ、無自覚な攻撃に疲れてしまった彼女に、あなたを怯えさせるものは、その他人そのもの、本体ではなくて、自分自身が搭載している過剰な拒否フィルターだから、

無自覚な精神攻撃を仕掛けてくるような他人でも、よく見て観察してみれば、「どうしてそんな言葉を言ったのか」「何がその人にそうさせたのか」、表面上の言葉に振り回されず静観してみれば、必ず、その人が無自覚に隠したがっている弱さ、未熟さに気付くよ、

それが見えたとき、その人への脅威はなくなるよ

自分の心が不穏に波打った時、波にのまれず静観して、その人にそれを言わせた心の弱さや未熟さを見つめてみて

そこまで出来たら、ほらもう怖くなくなっているよ

威嚇も虚勢も必要ない、ただの取るに足らない存在だとわかるから

 

ということを伝えたかったんだけど、そのやり取りや、どうしてどうやってその考え方に辿り着いたのか私のルーツを尋ねてくれるような心地よい質問を通して、自分自身を振り返ってみて、なぜか

「人間がなぜこの世に生まれてきたのか」という宇宙彼方の問いに斜め着地したw

 

私の頭の中は日本語の思考で出来ていて、大体いつもこうやって、1つの分の中に5個分くらいの分を無秩序に詰め込むから、多分ちょっと読むの難しんじゃないかなと思う。でも敢えてそのまま書くね、思考の軌跡そのまんま。散らかってるけど、そのまんまで。

 

ここまで前置きで、本題は、

何のために生まれてきたか、その答えを今の私は私なりに見つけていて嬉しいということ。

 

一言でいうと、「人生をかけた長い数式をつくるため」

 

頭の良さとは何かと問われて、私は「想像力」だと答えた。

目の前の相手が何を望むか、現状に立ちはだかる壁を打破するためにどんな対策がとれるか、ひとつの式を描いたときに、その先にどんな結果を起こすか、それを想像する力。

 

でもこの頭の良さだけで上手くやっていけるかというと全然足りなくて、あと2つ、「継続する力」と「愛情を注ぐ力」

 

1つのシュミレーションが1回で上手くいくとは限らず、むしろたくさん失敗してそこから学んで積んでいった方がより練り上げられた式を作ることができる。

これが「継続する力」で、この力が経験させる全てのことは、自分の想像力を爆進させるための燃料になる。

これを繰り返して、長い人生の中で、途切れ目のないひとつの式を描いていく、長い答案のように。

 

「愛情を注ぐ力」は、式を使う方向性、どっちをみているか

族や友人、恋愛に限ったことではなくて、すべてにおいてそう。後ろの人のために1秒長く扉を開けておくとか、そういう「自分の行動でだれかちょっと楽になるだろうな喜ぶかな」みたいな気持ちが起こさせることのすべてが含まれる。

想像力と、継続する力で私たちは長い式を仕上げていくけれど、その効率性の中に、どれだけ他人の効率性まで巻き込めるか(どれだけたくさんの人を喜ばせることができるか)が、この「愛情を注ぐ力」で試されていくのだろうなと思う。

 

この世に生きていくことの意味は、自分に与えられたものすべてを使って、どう生きてどう他人と関わってきたか、小さくても大きくても世にどう影響を残したか、その答案をひとつの長い式に結んで提出するためだと思う。

 

該当する言葉が存在しないから、とりあえず「かみさま」と呼ぶけれど、この式の完成を見守る存在は、とても広大なただの愛で、答案に点数は存在しない。

生きることそのものが式だから、生きていることで、描き続けることで、それは喜んでいる気がする、なんとなく、知覚できないけど。

 

大きな磁場の中に放り込まれた磁石のように、こっちを向いた方が心地良いっていうのがあって、愛や向上心が心地良いなら、その大きな磁場はそういうベースなんだろうなと思う、同じ方向に、この世の設計が

それがなんかちょっと嬉しい。